大判例

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仙台高等裁判所 平成元年(ラ)80号 決定 1990年9月18日

抗告人 大沢和子

不在者 大沢義夫

主文

原審判を取り消す。

本件を福島家庭裁判所に差し戻す。

理由

一  抗告の趣旨及び理由

別紙(即時抗告申立書の写し)「抗告の趣旨」欄及び「抗告の理由」欄記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

1  本件記録によれば次の事実が認められる。

(一)  不在者は、○○大学経済学部卒業後、直ちに○○信用金庫に就職し、昭和61年2月総務部長を最後に同金庫を退職し、以来その子会社である○○商事株式会社の支配人をしていたものであるが、この間、昭和34年4月21日抗告人と婚姻し、抗告人との間に長女良子(昭和35年1月4日生)、次女朋子(昭和37年10月23日生)を儲けた。

(二)  不在者は、釣り好きで、釣り歴約20年の経験者(渓流釣りが専門)であり、これまで、休日には早朝から釣り仲間らとともに○○郊外にある沢に入り渓流釣りを続けてきており、また、山歩きが好きで、特に山菜の採取時期になると入山して山菜を取るなどして楽しんでいた。

(三)  不在者は、昭和63年5月22日午前4時頃、渓流釣りのため、同釣り歴約10年を有する友人山口一郎(当時満51歳)とともに、小型バイク2台を積んだワゴン車と乗用自動車で、○○市○○町所在の○○○方面に向けて各自宅を出発し、山形県境に近い旧国道○○号線の○○○トンネル付近で小型バイクに各乗り換え、右国道と○川の交わる山道で下車し、同川を北上して同日午前6時40分頃、これと○○川との合流地点に到着したのち、○○川で釣りをしながら上流に向い、同日午前11時半頃、○○窟沢付近(同町の○○川支流の○川から北へ約4キロメートルの地点)で知人に会い、岩魚数匹の入ったビクを持参したまま、友人と釣りの話を交わしたうえ、「これから林道へ出る。」と言って○○沢の奥の方へ向って歩いていったのを最後に消息を絶ってしまった。

(四)  抗告人は、同月22日夕刻になっても不在者が帰宅しなかったため、同日午後7時頃、福島県警察○○署に不在者の捜索願いの届出をし、これを受けて、同月23日午前6時頃から同警察署員ら、地元消防団員、不在者の家族ら、釣り仲間ら約90人による捜索、さらに翌24日には同県警察本部機動隊員ら、地元消防団員ら約130人による捜索がなされ、その後も約2週間にわたって、捜索場所の範囲を広げながら、延べ約1,200人を動員しての捜索が行われたけれども、この間、同月23日に、○○○トンネルの○○市側の入口で不在者らのワゴン車及び乗用自動車が、同トンネルから北へ約4キロメートル入った山中(○○○○橋たもと)で不在者らの小型バイク2台が、同月27日に、○○川と同窟沢との分岐点から北の上流1キロメートルの土手で山口のグラスロッドの釣竿が、右分岐点から北へ約300メートルの高さ約8メートルの滝つぼで不在者の韓国製の釣竿が、さらに、右土手から北の上流約1キロメートルの砂地(○○○沢から約5キロメートル北西に入った○○窟沢の原流沿いの場所)で不在者及び山口のものとみられる各足跡がそれぞれ発見されたほかは、何ら手掛かりを見つけることはできなかった。右警察署員らによる捜索打切り後も、抗告人らの家族及び同県猟友会員らによる捜索が継続して行われたが、依然として、不在者及び山口の消息は不明である。

(五)  不在者が渓流釣りに出掛けた同年5月22日当時、その消息を絶った○○沢付近は、残雪が多く、ブナ林が続いている辺りが同じような景色に見えるため方向感覚を失って道に迷い勝ちな場所で、また、地形的にも、歩行が困難で、川縁が多く崖になっているため、岩場等で足を滑らせると深い谷間に転落するおそれがある等複雑かつ危険な場所であった。

しかも、同所付近には、同日夜から翌23日夜にかけて雨が降り続いた(ちなみに、近くの同市○○町○○地区では、降水量は同月22日午後7時台から同日午後11時台まで毎時1ミリメートル、翌23日午前零時台3ミリメートル、同日午前1時台2ミリメートル、同日午前2時台から同日午前7時台まで毎時1ミリメートル、同日午前8時台から同日午前9時台まで毎時2ミリメートル、同日午前10時台1ミリメートル、同日午前11時台4ミリメートル、同日午後零時台6ミリメートル、同日午後1時台から同日午後4時台まで毎時2ミリメートル、同日午後5時台から同日午後7時台まで毎時1ミリメートルであった。)ため、付近の川が増水し、気象条件も、気温が低く、みぞれ模様で霧が立ちこめる等悪い状況のもとにあった。さらに、当時、不在者及び山口は、いずれも同所付近の地理に明るくなく、軽装で食糧も1日分しか用意していなかった。

(六)  不在者は、昭和63年5月当時、満57歳で、糖尿病の気があり、血圧もやゝ高めであったものの、これ以上心身の状況に格別の問題はなく、抗告人を含む家族らとの折合いもよく、同月7日には海外旅行をなすためのパスポートを取得して、近々家族らとともに同旅行をすることを楽しみにしていた。

(七)  抗告人は、現在、不在者との間の子である二人の娘が結婚して別所帯を持ち、不在者の母(満80歳・年金受給者)とともに生活しているが、失踪後である昭和63年7月以降不在者の現勤務先からの給料の支払いが停止され、かつ、二女の結婚の準備や不在者の捜索等で多額の出費をしたため生活に窮する状態になり、早期に、遺族年金や生命保険金を受給することを望み、これらの理由から、本件が期間の短い危難失踪に該当すると認めて欲しいとの希望のもとに、失踪後1年余を経た平成元年6月17日本件申立をするに至った。なお、山口の家族らは、今日に至るも失踪宣告の申立をしていない。

ところで、抗告人は、不在者につき民法30条2項所定の適用を求めているが、同条項にいう「死亡の原因たる危難」とは、それに遭遇すると人が死亡する蓋然性が高い事変を指し、これには、火災・地震・暴風・山崩れ・雪崩・洪水等の一般的事変のほか、断崖からの転落・熊等野獣による襲撃等の個人的な遭難が含まれているものと解するを相当とするところ、以上認定にかかる失踪当時及びその前後における不在者の状況・失踪付近現場の地形・気象条件・本件捜索の経緯と状況等を総合考慮するも、不在者が右危難に遭遇したか否か明らかではなく、不在者につき、右危難失踪の原因の存否及び公示催告手続の要否を判断するに当っては、右のほか更に、失踪当時における不在者と山口との交友関係、特に金銭その他の経済的関係、不在者の勤務会社での勤務状況、特に金銭的、人的関係の状況、勤務会社の支配人としての経営参画の有無、状態、各種保険契約締結の有無、時期、目的とその具体的内容、山口の家族が未だに同人につき失踪宣告の申立をしていない事情、特に不在者と山口のものと思われる各足跡が発見されたとする根拠、場所付近の地勢等を具体的に示す図面、写真等の資料が不十分であり、前記条項にいう「危難」に遭遇したと認むべきものかどうかの証拠資料等の調査を進める必要があるものと認められる。

2  よって、原審判を取り消し、更に、審理を尽くさせるため、本件を原審裁判所である福島家庭裁判所に差戻すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 三井喜彦 裁判官 武藤冬士己 松本朝光)

(別紙)

抗告の趣旨

原審判を取り消し、本件を福島家庭裁判所に差戻すとの裁判を求める。

抗告の理由

1 原審判は、民法第30条に定める「死亡の原因たる危難」には、地震・台風・洪水等死亡の可能性が極めて高い一般的事変の他、断崖からの転落・熊等の野獣の襲撃などの個人的な遭難も含まれるとする一方で、不在者はどのような個人的な遭難に遇ったものか不明であり、他に不在者が死亡に至るべき危難に遭遇したことを認めるに足る資料はないとして、本件申立を却下した。

2 しかしながら、不在者の家庭は円満であり、仕事も順調で、不在者は失踪の直前である昭和63年5月7日にパスポートを取得して、近々家族揃って海外旅行にでかけるのを楽しみにしていたことに鑑みれば、不在者が何等かの事情で出奔するという事態は全く考えられないところ、不在者の釣り竿が、○○川と同川窟沢との分岐点から約300メートル上流の滝壺に浮いているのが発見された事実に鑑みれば、不在者は○○川に転落したものと推定すべきである(なお有斐閣発行新版注釈民法第1巻383頁ないし384頁は、船舶が、殊に湖沼において行方不明となり、長期にわたって発見されない場合は、沈没が立証されたものと認めるべきであるとする)。

3 そして仮に不在者が転落死したのではないとすれば、他の可能性としては、不在者が熊等の野獣に襲撃されたことしか考えられないが、そうだとすれば、不在者は原審判の挙げた個人的遭難のいずれかによって死亡したものと推定されるのであって、このような場合もまた、「死亡の原因たる危難」によって、不在者が死亡したものと認めるべきものである。

4 なお抗告人は、本件に類似の事例で、危難失踪が認められたものとして、旭川家裁昭和46年9月2日付審判を援用する。

〔参考1〕原審(福島家 平元(家)442号 平元.8.22審判)<省略>

〔参考2〕差戻し審(福島家 平2(家)698号 平3.4.12審判)<省略>

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